9/18 Today 反穀物法協会マンチェスターに結成される(1838)……イギリス資本主義発展の原点: "穀物法(コーン・ロー)とは穀物の輸出入制限に関する一連の法律。ナポレオン戦争後のイギリスで国内の農業保護を目的に輸入穀物の価格を人為的に引き上げた。これは地主・農業資本家に法外な利益をもたらしたが、一般消費者・産業資本家には不利益をもたらした。イギリスの一般消費者・産業資本家の代表は、この日、マンチェスターにて反穀物法協会を結成。地主・農業資本家に対する戦いを開始する。これは全国的に熱狂的な共鳴を呼び、やがて1846年に穀物法は廃止される。産業は活性化され、イギリスは一挙に世界一富裕な強国となって行くのでありました。"
それに比べて我がニッポンでは……
日本ではこういう対立軸がいっこうに表面化しなかった。なぜか。ということ。
ひとつには日本の農村の団結力。農民への利益誘導こそが政治であるとのぶれない固い信念のもとに、戦前戦後を通じて一貫性のある政治圧力団体を形成してきたこと。昭和の右からの「改革」の主導者であった陸軍青年将校や「革新官僚」のほとんどが農村出身であった。戦後も戦前の政治体制は実質的に継続され(戦前戦後の連続性は多くの資料で立証されている)おまけにGHQは戦前の「革新官僚」や青年将校たちがやりたくってもやれなかった農地解放までやってくれたから一挙に彼等が目指していた「ノーソンへの利益誘導型改革路線」が進むこととなった。日本の戦後経済発展の成果を主に農村が享受するシステムが出来上がったのであった。
それに対し都市住民(労働組合など)は、くだらない政治イデオロギーに拘泥して資本家こそが敵だと信じ、問題の本質を理解できていなかった。戦う相手を間違えていたのである。いつのまにか経済的弱者(農村)は団結することにより政治的強者となり、もともとの経済的強者だったはずの都市労働者は政治的弱者となり、結果としてついに経済的弱者にまで成り下がる。イギリスに於いて100年以上前に認識されていた「都市対農村」という対立軸が日本では本格的に議論されることもなかった。国民経済面から見たマクロ投資は非効率的な方面に向けられ、日本は一時はいい線までいっていた国際競争力を失ってゆくのであった。
「みんな一緒に清く貧しく」というのもいいけれど、「みんな」というのが「ニッポン」だけなので、具合が悪い。
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